6月24日(金) 第7回講座

まち歩き「河内長野バス旅」 (9:20~15:10)

富田林駅北口(集合)→天野山金剛寺→南河内環境事業組合第2清掃工場→(昼食)道の駅「奥河内くろまろの郷」

→檜尾山観心寺→富田林駅北口(解散)

 

車中で、澤田ディレクター・日高ディレクター・大畠サポーターから、本日の行程・今後の講座の説明とイベント行事の案内がありました。

  〈イベント行事〉

  8月24日(水) 府民カレッジ「夏の音楽公開講座」(本部主催)

  9月4日(日) とんカレふれあいフェスタ    (修了生・受講生の集い)

 

 

総勢42名。大阪今季一番34℃・真夏日直前、風強しです。

近鉄バス・山本運転手は、昨年のバス旅と同じ方でした。

乗車早々、冷やひやのお茶サービスで元気いただきました。

 

 

 

天野山金剛寺  ガイド かわちながの観光ボランティア倶楽部 5名

奈良時代に聖武天皇の勅願により行基によって創建され、平安時代には弘法大師がが修行したと伝えられている。

その後400年も荒廃するが、高野山の阿観上人が後白河法皇の妹・八条女院の帰依を受け、金堂等現存の伽藍を復興する。

特に八条女院は、弘法大師御影を御影堂に奉安し祈願所とする。その後、女院に仕えていた浄覚・覚阿姉妹が阿観上人の後を継ぎ院主となったことが、「女人高野」と呼ばれる一因と考えられている。      (パンフ 金剛寺・女人高野より)

1~4班以外に「ゆったり班」を作って、ガイド開始。

南大門の門札2枚には、「女人高野天野行宮」・「大本山天野山金剛寺」の銘。

総本山は京都の仁和寺。大本山は総本山の次位とのこと。

楼門は伽藍内への入口門。お寺の横の天野川(西除川)は、さやま池まで流れています。

 

青々とした「しだれ桜」は、春には花咲き晴々と美しい。

食堂(じきどう)は南北朝時代に、南朝の後村上天皇が6年間正殿として大政を執られた。史上、天野行宮天野殿と称する。

食堂の北側外れに紫陽花が一輪。

その塀越しの場所は、北朝の三上皇と皇太子の御四方が4年間御座所とされた。

奇しくも、南北両朝が同座されることになったとのこと。

 

 

 

多宝塔

 

 

豊臣秀頼の銘が刻まれている。


豊臣秀頼公・徳川綱吉公によるものと平成の大修理(2018年までの9年間)を三大修理と言うそうです。

 


金堂には、国宝三尊像(大日如来座像・不動明王座像・降三世明王座像)が安置されています。

このほか、4月21日の百味飲食(ひゃくみおんじき)で有名な御影堂や観月亭・五佛堂などがあります。

 

南河内環境事業組合第2清掃工場  案内 辻さん

小学生対象のビデオ視聴(10分)

○組合は3市2町1村で構成。(富田林市・河内長野市・大阪狭山市・河南町・太子町・千早赤阪村)

○ごみ処理の流れ(燃えるごみ)

 ・ごみ計量機→プラットホーム→ごみピット→焼却炉(3段階の火格子)→[排出ガス対策]→煙突(大気へ排出)

   ①排出ガス対策  ばいじん・塩化水素・硫黄酸化物・窒素酸化物を、バグフィルタ・有毒ガス除去装置

            ・最適な燃焼管理・脱硝反応塔により処理。

   ②排水対策    完全クローズドシステムにより、工場内で再利用。

 ・粗大ごみは別系統で処理し、鉄・アルミニウムを回収。

○第1清掃工場は、富田林市大字甘南備にあります。                     (組合パンフより)

 

・煙突     高さ59m。高ければ高いほど効果的でいいようですが、航空法制限ぎりぎりの高さとのこと。

        焼却灰は、ごみ量の10%を排出。

・中央制御室  24時間体制。機器等を集中監視制御。

・ごみピット  深さ13m。3日分を貯留。クレーンはごみを撹拌して燃やし易くし、次の工程に移送。

 

※ 車両計量機に全員載り重量を測定。平均60kg、少し重め?!。

 



(昼食)道の駅「奥河内くろまろの郷」

奥河内ビジターセンター・地産地消レストラン・JA大阪南農産物直売所があり、

パン工房・かわちもん物産店・バイキングランチなどが楽しめます。

 

〈「くろまろの郷」のいわれ〉

高向玄理(たかむこのくろまろ)は、聖徳太子の時代に日本初の国費留学生の一人に選ばれ、隋に渡り、さらに唐の制度を勉強し、

留学期間はなんと32年にも及びました。帰国後は、国博士に任命され、中大兄皇子らとともに新しい政治体制を整えました。

河内長野市高向の出身といわれています。

 

檜尾山観心寺  ガイド かわちながの観光ボランティア倶楽部 6名

飛鳥時代後期(701年)に役行者によって開創され、雲心寺と名付けられる。

平安時代に弘法大師空海が北斗七星の力を境内に求め、国家の安泰と人々の厄除けのため、如意輪観音菩薩を刻み本尊とされる。

弘法大師空海は寺の造営を一番弟子の実恵(道興大師)に任せる。実恵は弟子の真紹とともに整備し、寺号を観心寺に改める。

その後、真言密教の修行寺院・歴代天皇の祈願所として発展する。            (パンフ 観心寺より)

 


「ゆったり班」を作ってのガイド開始。

遺跡本山(ゆいせきほんざん)は、寺格では三番目(総本山・大本山の次位)とのこと。

南朝の後村上天皇が行在所として政務を執った。天皇陵として残っています。

 

 

星塚めぐり  1200年前に空海が、如意輪観音菩薩の周りに配置した北斗七星の塚。

       北斗七星は、「人の生き死に」を支配する星だと言われ、医療安心を願っているとのこと。

       一巡することで一年の厄除けになるそうです。

       石には梵字が書かれています。

 

 

〈観心寺の三国宝〉

 

  ①金堂  この斜め角度の眺めが、最も美しいとのこと。

  ②如意輪観音菩薩(秘伝)

   高さ109㎝。足の裏を合わしています。

   室生寺(奈良県)・神呪寺(兵庫県)とともに、

   日本三如意輪観音と言われています。

   本尊御開帳は、「毎年4月17日・18日のみ」。

  ③古文書

  

建掛寺     楠木正成が三重塔の建立を計画するも湊川で戦死したため、「たてかけのとう」として伝わっています。

御影堂     弘法大師の御影が奉安されています。

楠木正成首塚  足利尊氏の命により正成の首級が当寺に届けられ祀られています。  

鎮守堂     訶梨帝母天堂。鬼子母神の説話があり、子宝・安産・育児などの御利益があるとのこと。

 


塔頭の中院は、楠木の菩提寺。楠木正成は8~15歳まで、ここで龍覚に仏道修行について学んだとのこと。

※ ボランティア倶楽部のみなさん暑い中、長らくお待ちいただいてのお見送りありがとうございました。 

 

冷おしぼりのサービスを受けリフレッシュし、無事に富田林駅北口に到着。2時間強乗車のバス旅お疲れさまでした。

くろまろの郷・延命寺・河内長野の民話のお話、3班中野さんありがとうございました。

車中の熱中症対策は、「冷やひやのお茶・塩糖分補給剤・冷おしぼり」でした。