泉大津高校、富田林高校で教鞭をとられた先生は、ご自身本当に地学が好きで、地学好きの後輩を作ろうと努力されてきたことが、本日の熱心な講義、且つ準備周到な岩石標本の陳列に理解できた。
岩石の分類同定には、偏光顕微鏡の検鏡が必要で、前提として偏光の意味が解っていることが重要である。
先生は、偏光を理解させるため、偏光万華鏡でセロテープの縦横屈折率の違いによる偏光の美しさを確認させ、プラスティックスプーンの偏光模様を観察させ、方解石の複屈折による二重線が偏光板で消える驚きを体験させてくださった。そして最終的に教え子が懇切丁寧に作った柘榴石標本で、簡易偏光顕微鏡でその美しさを体験させてくださった。
顕微鏡による実験は、クラス全員を童心にかえらさせ、大部分の人は新しい体験にうれしそうであった。
それは酸素で、約50%含まれます。次いで多いのがケイ素(Si)で25%です。地球上では、酸素の大部分が岩石に含まれることになります。
この酸素を植物が利用しています。
クラーク数
大気と地球の表面から地下16キロメートルまでのいろいろな元素を重さの百分率(パーセント)であらわしたものをクラーク数といいます。
そのクラーク数のグラフが左の図になります。
光や電磁波は、電界や磁界が進行方向に垂直な面内で振動しながら進む横波です。偏光(Polarization)とは、進行方向に垂直な面内での電界や磁界(正確には電界ベクトルや磁界ベクトル)が時間的・空間的に規則的な振動をしながら進行する光やそのような光波の状態です。光の進行方向後方から見たときの電界ベクトルの振動(偏り)の尖端が描く軌跡によって直線偏光、円偏光、楕円偏光に分けられます。
左の左図のように、1本の線の上に方解石を置くと、2本の線が見える。これは右図のように、光が方解石を通過する場合、複屈折をし光学軸が異なる2本の線になる。
複屈折(ふくくっせつ)とは、光線がある種の物質(例えば方解石という結晶)を透過したときに、その偏光の状態によって、2つの光線に分けられることをいう。それぞれは通常光線と異常光線と呼ばれ、光学軸に対する偏光方向(電場ベクトルの向き)が異なる。
プラスティックのスプーンを、変更グラスを重ねてみると左図のようになる。
着色は2枚の偏光板と、その間に入れる特別な性質をもつ物体により起こります。
2枚の偏光板のうち、最初の偏光板は光の振動方向をそろえる働きをします。
振動方向がそろった光は、プラスティックを透過します。このとき着色が起きるかどうかは、物体が複屈折性(ふくくっせつせい)を持つか否かで決まります(複屈折性の大きさにも左右されます)。複屈折性を持つ物質内では、向きにより屈折率が異なっています。このため、光は物体内部を常光線と異常光線の2つに分かれて進むことになります。常光線と異常光線は、互いに振動面が直交しているため、影響し合うことはありません。 物質内で2つに分かれた光は、2枚目の偏光板を通過します。物体を透過した光から、この向きの振動成分を取り出します。2枚の偏光板を通すと、常光線・異常光線から2枚目の偏光板の向きの振動成分を取り出されるため、本来影響し合わない両光線の成分が重ね合わされます。これにより、着色が起こります。
簡易偏光顕微鏡の原理
オープンニコル
左の左図のように、偏光子により縦軸の偏光になった光を通過させて観る。途中に検体を置かない場合は明るく見える。
クロスニコル
右図のように、偏光子により縦軸になった偏光を通過さ横軸の横軸の検光子により縦軸成分を吸収させて観る。途中に検体を置かない場合は暗く見える。
準備 反射鏡を光源に会うように調節する。
プレパラートを回転ステージにセットする。
顕微鏡観察
オープンニコル
上方ニコルの付いたキャップを外して、観察する。
この時、回転ステージを回転させて観察する。
変化時点の角度を確認し、内容をスケッチもしくは写真撮影する。
クロスニコル
上方ニコルのキャップをつけて、観察する。
この時、回転ステージを回転させて観察する。
変化時点の角度を確認し、内容をスケッチもしくは写真撮影する。
先生のかつての教え子泉大津高校と富田林高校の生徒さんたちが、1枚を数時間かけて作成してくれた二上山産 ざくろ石黒雲母安山岩の薄片を用いて、オープンニコルとクロスにコルで観察した。
ざくろ石は色変化がなかったが、黒雲母には色変化があった。
わが班の池内班長は、苦労してスマートフォンでの撮影に成功されましたので
左にその撮影写真を掲載しておきます。
しかし、この様な美しい世界があるとは、本当に素晴らしい体験であった。
偏光顕微鏡観察と言うテーマに、少年のような目の輝きで取り組む皆様方。少年の好奇心・青年の情熱・老人の見識が見事にマッチしてしています。いつも、何にでもこうありたいと思います。
笠井先生は、羽曳野市の教育委員会におられたこともあり、河内地方とりわけ河内飛鳥地方への思い入れは強くその情熱が伝わる講義であった。
先生は、応神・仁徳から武烈までの期間を河内王朝であったとの考えで、他の王朝交代説と異なり、国内内部の抗争の結果の王朝であったとされる。大和に都を置く崇神王朝、そして河内王朝、越前よりの継体王朝を経て万世一系は天武天皇よりだとされた。
日韓の関係にも触れられ、桓武天皇の生母が昆支王の系統であること、平成天皇が同内容に関してワールドカップでの記者会見で述べられた件についても言及された。この点に関して
ショックを受けたとの質問者に対して、感情的はわかるが、事実は事実として理解して欲しいと言われた。
アスカには飛鳥、明日香、安宿の漢字があてられている。河内飛鳥は、安宿から飛鳥戸(あすかべ)になった。
安宿はハングルで(アースク)→アスカに変化した。アは接頭辞でスカはすがすがしいの意味である。
太子町の須賀、神奈川県の横須賀が有名で、全国に100か所以上アスカとよばれる地名がある。上ノ太子駅の北部にも飛鳥と言う地名が残る。
飛鳥時代
古墳時代→推古天皇593→飛鳥時代→平城京遷都710→奈良時代の流れで、飛鳥時代は7世紀と考えてよい。7世紀中ごろの大化の改新645の前は河内が中心で、後は奈良飛鳥が中心になる。
古墳時代の墳墓形状の貴賤は、方墳<円墳<前方後円墳の順で貴く、飛鳥時代は、蘇我氏・推古天皇によって方墳>円墳となり、さらに八角形墳に変化する。これを質的な転換と言う。欽明天皇の墓は前方後円墳であるが、円墳の上部は八角形墳となっている。
百舌鳥・古市古墳群は世界遺産となっているが、古市古墳群では安閑天皇陵、仁賢天皇陵は外れている。百舌古墳群は古墳時代後期のもので、100年間郡で、古市古墳群は中期から後期の墳墓で200年間墳墓群である。
応神天皇陵をはじめとする古市古墳群は、藤井寺市・羽曳野市に位置し、4世紀から5世紀の古墳時代のものであるが、蘇我氏が権力基盤を持っていた太子町の磯長谷には、5世紀後半から6世紀の古墳が数多く存在する。
磯長谷・河内飛鳥には、用明天皇陵や推古天皇陵があり、聖徳太子墳もある。また全国的に見ても珍しく史跡に認定された河南町の金山古墳は双円墳として存在する。近くに白木と言う地名があり、新羅よりの渡来人の存在を暗示する。
石室の違い
竪穴式石棺は追葬できないが、横穴式は追葬できる違いがある。
葬り方
天武天皇までは土葬、持統天皇より火葬になり以降火葬が続き、明治天皇の時代に、神道が見直され、孝明天皇より土葬となる。明治天皇、大正天皇、昭和天皇は土葬、平成天皇は火葬を希望されている。
応神天皇から武烈天皇までのいわゆる河内王朝で、日本最大級の前方後円墳群が誕生したのには、多くの土木技術や騎馬技術を持った渡来人の存在があったと考えられる。そしてそれらの渡来人を管理していたのが後の蘇我氏であったと考えられる。
現在の神社の祭神は異なっているが、渡来人の氏寺-氏社と思われる寺社仏閣が、数多く南河内に存在する。それを左図に示した。
461年来倭したのが百済毗有王の息子昆支王である。昆支王は倭国滞在中5人の子供をもうけ、百済に送って2人を国王としている。残りの子供は倭に定着して飛鳥戸造として渡来系氏族として、日本の政治に関与している。
長子武寧王の系統から桓武天皇母の高野新笠へと、また飛鳥戸造の系統から藤原の冬嗣や文徳天皇・清和天皇へと続く。桓武平氏、清和源氏へと流れ源平のルーツとなる。
本日のテーマは、高校時代の地学と日本史の講義のようであった。先日母校の前を通った時、昔の校舎は新しく建て替えとなっていて、面影は全くなかった。同じように、本日のテーマを昔習ったような気がするが、全く覚えがなかった。高校時代に地学と日本史が興味なかったのか、迫りくるボケの前兆かどちらかであろう。とにかく、何にでもその時その時にまじめに取り組むことが必要だと感じた。
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